「僕はラジオしか知らなかった」

2020年も記憶に残る大変な年に

なりましたが、1970年も大変な

年でした。僕のラジオ歴史です。

   NO.1~NO.10

 


NO.8とNO.9にはアナウンサーとなった

私の初仕事ニュースの音声が入っています

カセットで同時録音されたものが残されていました。50年後のYouTube登場です。






豊田 一美とよだ かずみ1947年 7月28日 - )は、三重県出身のラジオDJ

FM滋賀開局以前はエフエム大阪のDJであった。e-radio開局当初からDJを勤めており、e-radioの元代表取締役常務でもあった。

ぶんぶんブログ主宰者。 e-radio内で行われている話し方の基本やコミュニケーション術、ナレーションやDJなどを学ぶ

サテスタ塾元塾長。愛称は「豊パパ」。

2006年12月1日、e-radio開局10周年特別番組(7:30~20:00)において同時進行で自転車による琵琶湖一周に挑戦し、

約12時間かけて番組放送中に完走を果たした。 翌年11月30日の開局特別番組放送において、自転車による琵琶湖一周に再び挑戦。

完走を果たし、その日をもってe-radioを退職した。

現在は滋賀県のインターネットラジオ局A-RADIO(ええラジオ)に関わっている。

                             (ウイキペディアより転載)


FM大阪 ラジオパパ

e-radio 湖岸通り77

ビワイチ 生中継



E-Radio 湖岸通り77番地コラージュ


豊パパの詳しすぎる  ラジオライフ (Raised on  Radio)

■生まれたのは昭和22年三重県の津。 

★福岡の小学校4年の時から自作のラジオで聴きはじめる。

昭和36年(1961年)父の転勤で福岡から大津に。 

一番多感な時代を大津で過ごす。  

ひっそりとした町並み、「鉛筆一本でも京都に買いに行く」 

と言われるほど、 まだ大津はそんな町でした。 

高校では山岳部、なによりも豊かな自然を満喫する青春でした。

★ラジオはKBS京都しか入らなかったが、英語の放送(FEN)を発見して聴き入る。

★中3の時友人に「えーFMも知らんの?」って言われた。NHKの試験放送だった。

FMはクラシックを聴くためのラジオだと思った。まさか自分が入社しようとは・・・

 

★東京で一人暮らし始まる。その時も下宿の高校生に

 「えー土居まさるって知らないの?」って言われた。

 次の日から「文化放送 真夜中のリクエストコーナー」にはまる。

■大学は東京の立教大学。 そこでジャーナリストに目覚める。 

社会と向き合うことの大切さを知りました。 

立教大学で放送研究会に入りクラブの先輩の影響を受けます。  

みのもんたさん、徳光和夫さん、故土居まさるさん。大活躍される先輩たちは、 

学生時代からやはりぬきんでて行動的でした。社会、政治、文化などなど興味あるものを見つけては全力でぶつかっていく。

 

そうした先輩の紹介でTBSにアルバイトで出入りして、日本のニュースキャスターの草分け・田 英夫さんにも出会いました。ただラジオが好きだっただけの学生が、 

ジャーナリズムの偉大さ、おもしろさ、難しさ、大切さを知りました。 

 

■念願のジャーナリストの第一歩は大阪。と思ったが・・・ 

できたばかりのFM大阪にアナウンサーとして就職。 

1970年、若者を中心とした、これまでにない音楽専門局の誕生。

 

21歳でディレクター、アナウンサー、企画制作…お笑い、ファッション、

音楽…若者文化も大きく変わる時代。 そこでは自分なりに、

若者と向き合う番組を制作し続けました。 70年代、80年代。90年代。

 

あっという間に30年近い日と、数千本の番組を作っていました。 

音楽番組であってもいつもジャーナリスティックな気持ちでいたい・・・

「真空地帯」 「ロック851」 「アメリカンミュージックステーション」

「ポップミュージックステーション」 「ミスターポテト」

 そして「ラジオパパ」 

 

■一番の思い出は、深夜のトークラジオ。「売れるラジオ」 

本気で生きる人たちに大きな刺激を受けました。

 

現東京都知事の小池百合子さん、元長野県知事の田中康夫さん、社民党党首の福島瑞穂さん、元横浜市長 中田宏さん… 番組のタイトルは 「売れるラジオ」 でした。 

実はそのころはまだみなさん、政治家でさえなかった方たちでした。

 

田中康夫さんは風変わりな作家として、福島さんは敏腕の弁護士、中田さんは小池さんの秘書。 

そうしたみなさんと仕事で接するうちに、より社会とアクティブにかかわる仕事に就きたいと思いは募っていきました。年齢も50を前にして、いい刺激をいただきました。 

 

■1996年 そして、ふたたび、30年ぶりに滋賀へ、大津へ

 

FM滋賀の立ち上げに参画。 

 

滋賀に初めてFM局ができると聞いて、いてもたってもいられなくなりました。青春の地、そこが生まれ変わる…これは行くしかない。そしてパーソナリティ-・DJとしても10年。

 

 FM滋賀で文字通り「湖岸通り77番地」というワイド番組を制作出演。

 

ほぼ10年、毎週、リスナーのみなさんの生の声にふれ、考え、悩み、動き、伝えてきました。大津、滋賀のいいところ、悪いところもすべて学びました。 

 

■続き 

エフエム大阪から全国エフエム放送協議会(JFN)、そしてエフエム滋賀、と

 

エフエム畑しか知りません。 

 

■ RADIO PAPAというFM大阪の初代パーソナリティ豊田一美だったから 豊パパ というニックネームです。30歳からテニス、40歳の誕生日からゴルフ、50歳から自転車をはじめました。 e-radio 開局記念日には 「自転車ビワイチ生放送」

年1回は”びわいち”に挑戦していました。 

(今では誰でもビワイチという言葉を使っていますが、当時”びわいち”とは1日で

 自転車びわ湖一周をすることでした。) 

 

 アナウンス塾「ことばのアトリエ」を主宰 

2010年から未知の領域、大津グリルというレストラン畑も経験

 

2011年7月よりUstream.TV ええラジオ を開局

 ええラジオTVのYouTubeスタジオを運営して8年目。

現在は  株式会社 ローカリズム 取締役


1947年 7月28日  三重県津市生まれ  神戸と博多で育つ そして大津へ

1963年 3月 大津市立打出中学卒業 

1966年 3月 滋賀県立大津高校卒業 

1970年 3月 立教大学経済学部卒業                   

      4月 FM大阪(851)開局と同時に入社 

1993年12月 全国FM放送協議会(JFN)事務局次長 

1996年 3月 滋賀FM放送設置推進協議会出向 

      7月 FM滋賀常務取締役   

       12月 1日       FM滋賀(e-radio)開局

 1998年4月 湖岸通り77番地 DJ

2001年6月  FM滋賀代表取締役常務

 2007年11月30日 

     最後のビワイチ生中継

     FM滋賀取締役 辞任                       湖岸通り77番地降板

 2009年 4月 ことばのアトリエ塾 主宰

2010年12月  株式会社 大津グリル取締役

2011年 6月  滋賀県立大津高等学校同窓会会長

                      7月 インターネット放送(ええラジオ)開始

2016年 4月  株式会社ローカリズム取締役 

2019年 9月  豊パパ・豊ママの 「二人で十分」ゆうちゅうぶ 開始